ここでは、京都観光の代表格、10円玉でもおなじみの『平等院鳳凰堂』の情報をまとめました。
実は今見れる平等院は、建設当時のほんの一部です。本当は現在残る「鳳凰堂」を中心とした、さらに広く巨大な庭園でした。しかし戦火で焼け落ちております。
しかし「鳳凰堂」は当時の面影をそのまま残しています。京都へ行った際にはぜひ行ってみてください。
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- 10円玉で有名。現世の極楽浄土を地上に作りあげた世界遺産。
- 光源氏のモデルが住んでいた元別荘。
- 平等院のある宇治は源氏物語の「宇治十帖」の舞台でもある
平等院鳳凰堂の歴史
平等院の建つ京都府宇治市は、平安時代の初めから貴族の別荘が数多くありました。
平等院も始まりはそのひとつ、貴族の別荘でした。9世紀に光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)が別荘として使っていたことが始まりです。
それが時を経て宇多天皇の所有となり、その後、孫の源重信に渡り、摂政だった藤原道長の手に渡り『宇治殿』という別荘になりました。
その後、その子供である関白・藤原頼通が宇治殿を寺院に改築。『平等院』と名を改めました。
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宇治市都市景観条例のキッカケになった平等院
1997年頃、鳳凰堂の右側に、15階建てのマンションが建ってしまい、創建当初からの景気が大きく損なわれました。これが宇治市都市景観条例(2002年)が制定されるきっかけとなっています。当面の対策として平等院境内にクスノキが植樹されており、この木が高さ10メートルまで成長すると、マンションを完全に隠すことが期待されています。
2012年~2014年に、大規模な修繕工事が行われ、より創建当時の姿に近づきました。
創建当時は今よりもさらに多くの建造物があったのですが、火災で焼けてしまい、現在では阿弥陀堂のみが創建当時の姿で残り、鳳凰堂として親しまれています。
平等院の魅力
10円玉でおなじみの『平等院鳳凰堂』
京都の宇治といえば、『平等院鳳凰堂』。そして『平等院鳳凰堂』といえば、10円玉です。
毎日使っている10円玉の表面には、平等院鳳凰堂が描かれています。日本を代表する文化財として、昭和26年に硬貨にすることが決まりました。毎日使う硬貨に刻まれるほど『平等院鳳凰堂』は私達にとって身近な寺院といえるかもしれません。
そんな平等院について、改めてご紹介。
平安後期の1052年、最大権力者であった関白・藤原頼通(ふじわらのよりみち)が父・藤原道長(ふじわらのみちなが)から継いだ別荘を仏寺に改めたのが『平等院』です。
そして翌1053年、当時の最高技術を持った仏師・定朝(じょうちょう)が造り上げた『阿弥陀如来坐像』(あみだにょらいざぞう)を堂内に安置した『鳳凰堂』(阿弥陀堂)が完成しました。
『鳳凰堂』が国内外から人気を集める理由は、何といってもその華美なそのたたずまいにあります。
当時は末法思想が貴族や僧侶らの間で広まっており、1052年から末法になると信じられていました。そのため死後に極楽往生を願う浄土信仰が広く浸透します。阿弥陀如来を信仰すれば極楽に行けるとされ、各地に阿弥陀堂が造られましたが、鳳凰堂もその一つです。
約1000年前に建てられた建物や仏像が、時代を超えて現代の人々をも魅了しているというのは、とても素晴らしいことといえます。
鳳凰堂
鳳凰が両翼を広げたように見えることから鳳凰堂と呼ばれます。2014年に屋根の葺き替えなどの修復を終えて、創建時に近い姿となりました。
国宝『鳳凰堂』は、平安時代の摂政時代のころ、当時の建築を知ることができる佇まいを今でも保っています。また約1000年のときを経ても今もなお豪華絢爛な様式が見る者の心を奪う貴重な建築物です。
建立当時から修復を行っていないわけではないですが、丹土の赤を基調とした鮮やかな色調を再現するなど、『鳳凰堂』は平安の頃の風合いをできるかぎりそのまま受け継ぐようにしてきました。
堂内には国宝、金色の『阿弥陀如来坐像』が安置され、壁などに『九品来迎図』(くほんらいごうず)や『極楽浄土図』が描かれており、建物内にも優美な世界観が広がります。
また、池の中島に建立されていることで、水面に逆さになった姿が映し出され、本当に極楽にある寺院のようなおもむきを伝えます。
平安時代に記された『続本朝往生伝』(ぞくほんちょうおうじょうでん)という本には、「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という一節があります。
これは「極楽浄土の存在を疑うのならば『平等院』をお参りしてみなさい」といった意味です。当時から『平等院』は、極楽浄土を現した美しさだと表現されていたのです。
ぜひ、その美しき世界観を間近で体験してみてください。
鳳凰堂のここに注目
【鳳凰】
まぶしいほどの金色に塗られた鳳凰。南側と北側の鳳凰はいずれも2台めの鳳凰で、金の箔押しを押したものです。金箔押しにも、職人の技と伝統が詰まっています。
かつての軒瓦は奈良興福寺の再建と同じでした。いまは平安時代オリジナルの状態に戻され、6枚の花びらが刻まれています。
【楼閣の丹土】
昭和の修理では鉛丹が使われましたが、2014年の修復で平安時代の伝統的な酸化鉄系の「丹土」に戻されました。平安時代創建時の、シックで深みのある赤が楽しめます。古色の赤は、時間帯によって色が微妙に変わるのだとか。朝、昼、夕暮れの違いを楽しむのもいいかも。
鳳凰堂内のお宝拝見!
鳳凰堂は外観とともに内部の拝観もハイライトの一つ。中央に鎮座する国宝の阿弥陀如来坐像をはじめ、天蓋や壁扉画などすみずみまで見逃せません。
寄木造りで作られた高さ2.78mの本尊で、平安期の名仏師・定朝の作。平安末期の和様彫刻様式の特徴である、柔和な表情と丸みのある体つきが見事。
1.【光背】
仏様から放たれる光明を表すもの。ここでは仏様の真後ろに二重円相が描かれています。
2.【体躯】
ふくよかでなだらかなライン。立像は約5メートルとされ、その大きさで座った際の高さになっています。
堂内壁面に並ぶ52体の菩薩像です。現在半数は鳳翔館にて展示されています。穏やかな顔の菩薩はいずれも雲に乗り、楽器を演奏したり合唱したり、さまざまなポーズをとっています。52体の菩薩と豪奢な天蓋と阿弥陀如来の待つ内部は、まさに極楽浄土を表しています。
ミュージアム 鳳翔館(ほうしょうかん)
平等院に併設されたミュージアム。地下1階、地上1階の体験型ミュージアムで、とてもモダンな館内をしています。
雲中供養菩薩像26体や鳳凰1対、梵鐘などの国宝をふくむ多数の寺宝を常設展示しています。
造られた時期は平安中期とされるが、詳細は不明。形と文様の優美さから「姿形の平等院」と言われ、「音声の三井寺」「銘の神護寺」とともに天下三名鐘のひとつ。表面には地文の上に鳳凰や獅子、飛天などが描かれています。
鳳凰堂中堂の大屋根の両端に神々しく立つ鳳凰のオリジナルです。体表はウロコで覆われ、体は鹿、首は蛇、尾は魚、背は亀、顎は燕、くちばしは鶏の姿をモチーフにしています。鳳凰は古くから中国で信じられてきた神鳥で、羽は五色で美しく、この鳥が現れると天下は泰平なると信じられてきました。