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目次
仕事をしないと「生きがい」が感じられす幸せになれない?
生きがいとはなんぞや?
(ひろゆき):思いません。
(ひろゆき):えーと、生きがいとはなんぞやって話になると思うんですけど。僕、わりと毎日楽しく暮らしています。宝箱を開けている時(ゲーム)とかでも結構楽しく暮らしているので(笑)
生きがいというものがあるかどうかという話になると思うんですけど。まず世の中に生きがいというものはありません。
自分の生活が楽しくない人に限って「生きがい」とやらを探すんですよ。
自分が生まれて育ったことに「何か価値があったのか、なかったのか」みたいなことを悩み始める。
日本人って1億人ぐらい居て、毎年70万人ぐらい生まれて70万人ぐらい死ぬんですけど。……もうちょっと多く死んでるかな?
そのなかでも大体の人は記憶もされず、誰にも覚えて貰えずに死ぬんですよ。
多くの人は記憶もされずに消えていく
家族や親族は「おじいちゃん4んじゃったね」って覚えてるんですけど、
家族以外の人は、覚えていないことが普通。
だって人類50億人いて、皆さんが覚えていらっしゃる人って何人いいますか?
僕は今43歳なんですけど、同じ世代の43歳は100万人ぐらいいると思います。
じゃあ43歳の中で、生きる価値のあった人をあげてくださいって言っても100人も上げられないと思うんですよね。
生きがいというものはない
僕の同級生の名前を上げ続ければ、100人ぐらい上げられるとは思いますけど
同じ年代で「世の中に価値を残した」という生きがいを達成した人がどれくらい居るかというと、
ほぼいないわけですよ。
なので、まず生きがいというものはありません。
自分が楽しかったと思うかどうかっていう、主観の問題なんですよね。
自分が楽しかったどうかという主観でいい
例えば物作りをするのがすごい好きで、すげーいいもの作ったとか、
すげーいい絵をかいたとか、描いた漫画がめちゃくちゃ面白いとか、
ゲーム作ってみんながやって喜んでくれたとか、
やってみて楽しかったことっていっぱいあると思うんです。
それでいいと思うんですよね。
まあ人によっては子どもが育って、健康で楽しそうに暮らしています。
いい子に育ちました、ていうのでも全然いいし。
本人が「それが楽しいと思うかどうか」っていうので十分だと思うんですよね。
楽しいことは小さいことでいい
楽しいかどうかって、自分の価値とかじゃなくて例えばこんなものでいい。
- 今日、ステーキを食べたらおいしかった
- 今日のパスタはアルデンテで茹でられてちょうど良かった
こういうレベルでいいので、「楽しい」「幸せ」というのをいかに感じるかっていうのでいい。
たまにいるんですけど「何が楽しいか分からん」とかっていう人がいるんすよね。
そういう人は、「今日は晴れてて気分がよかった」とか
「チョコレート食べたら甘くて美味しかった」とか
「いっぱい寝て気持ちがよかった」とか「食べて美味しかった」とか
何でもいいのでプラスに感じた感情のあることをメモするようにしてください。
それを一日やっていくと、たぶん10個以上上がると思うんです。
楽しかったことをメモに書き出す
何かプラスになることって1日に実は何個もある。
それをみんな意識しなくて当たり前だと思っている。
もし何が幸せだったのかわからないのであれば、いちいちメモしてみてください。
で、寝る前に「あ、僕はこんなに幸せなことがあったんだ」となる。
じゃあ、次の日は何か新しいことにチャレンジしてみようっていうので。
例えばプラモデル。プラモデルって普通は作らないですけど、作ってみるとそこそこ楽しい。
パーツを切って、ヤスリをかけて組み立てて「おっ、できた」みたいな。
で、完成するっていう達成感があると思う。
やってみると楽しい事が世の中にはいっぱいある
そういう、普通の人生だとプラモデルは作らないですが、
やってみてプラモを完成させると「完成させた!」っていう達成感で
ちょっと楽しかったみたいなのがある。
そういう、やってみると楽しい事って世の中にいっぱいあるんですよ。
10キロ走るでもいいし、今まで行ったことのない近所の公園に行ってみるとか、
公園に30分かけて歩いて行ってみようとか。
そんなふうに、自分がやっていないことで、
達成感を感じられるものを見つけるといいんじゃないでしょうか。
(終わり)